やさしいケニア人
ケニア人の友達(日本在住)から電話があった。
「久しぶり! 元気? 猫、どうした?」
ちょうどチャイが心臓発作をおこした翌日、飲み会が予定されていたのだけれど、ワタシは参加できなかったので、その理由を覚えていてくれたのだ。
「死んじゃったの」
「うそぉ! かわいそう、だいじょうぶ? 大変だったね」
数日前には、別のケニア人親友(ケニア在住)からもメールがあった。
彼はチャイに会ったことがあったので、「チャイのこと覚えてる? 彼は死んだの」とワタシが送ったメールのやりとりでの冒頭。
Pole sana pole sana, CHAI alikuwa mgonjwa???
知らなくてごめんね、お悔やみを言います。 チャイは病気だったの?
みたいなスワヒリ語。
みんなワタシのチャイに対する気持ちを理解してくれて、ココロから気遣ってくれる。
前に「ケニア人は割り切りが早い」と書いたけれど、これは自分に対してで、相手にもそれを強要するものではないのだ。その人の良い意味での強さなんだな、と思った。
やさしいケニア人のココロに触れて、嬉しくなってしまった。
たとえば極端な例だけど、今現在飢餓や戦争に苦しんでいる人たちの気持ちにワタシ自身がなってみることはすごくむずかしい。
それはきっとワタシの想像の域をはるかに越えることだから。
でも、その辛さを出来る限り想像して相手を思いやることはできるはず。
そこからナニカがつながっていくのだと思う。
ずいぶん前に曾野綾子氏の「貧困の光景」という本を読んだ。
一言で言っちゃうと、日本人が日本の中で「自分はもうダメだ。苦しい」と言うことなんて、ちゃんちゃらおかしい!世界を見よ!と言っているような内容なので賛否両論あると思うけれど、自分の置かれた境遇のことだけを考えるか、世界の中での自分を考えるかを気づかせてくれる本。
ワタシは世界を意識しつつも「でも自分はこういうことで苦しいの」と言いたいし、逆にワタシには理解できなくても相手の苦しみを少しでも理解しようという努力はしていきたいな、と思う。
やさしいケニア人のように。
貧困の光景
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